山下清と杉並と兵役回避

0

    山下清と杉並と兵役回避

     

     杉並区高井戸西の「浴風会」(総合老人福祉施設)の会報『浴風会』誌・平成30年2月1日号(第394号)を読んでいたら、「裸の大将」山下清の記事があった。

     それによると、「スポーツニッポン」の連載『山下清の職場訪問』の一環として昭和40年に浴風会を訪れ、浴風会の礼拝堂を描いた、ということである。

     山下清(1922年・大正11年〜1971年・昭和46年)は、東京都の浅草で生まれた。生まれた翌年1923年(大正12年)9月1日の関東大震災によって、住居及びその一帯は焼け野原となった。そのため、両親は郷里の新潟へ帰った。

     3歳頃、重病に陥り、軽い言語障害と知的障害の後遺症をもった。そのため、少年期、酷いイジメにあった。

     1934年(昭和9年)、母は夫の暴力、現代用語のドメスティックバイオレンス(DV)に耐えかねて、清ら3人の子供を連れて東京の足立区にある木賃宿に逃れた。しかし、すぐさま貧困のどん底に陥り、杉並区方南にある母子寮「隣保館」に移り住んだ。現在、その場所は、保育園になっている。

     「隣保館」について若干の説明を。そもそもは、1870年代にイギリスで始まったセルツメント運動が出発点とされる。スラムなど貧困地帯に、その対策を講ずることができる専門家が常駐(あるいは居住)し、周辺住民に助言・援助を行う社会福祉施設をいう。当時、日本では、「福祉」という言葉がなかった。「隣保」とは、隣の人々という意味です。今なら「福祉館」と称したのではなかろうか。なお、戦後、国は「隣保館」を同和事業の一環として位置づけたので、「隣保館」=「同和事業」が多くなったようだ。

     参考までに、現在の杉並区の母子生活支援施設(いわゆる母子寮)の入所状況(各年度4月1日時点)を掲載します。場所は、非公開扱いです。

    年度

    24年度

    25年度

    26年度

    27年度

    28年度

    世帯数

    27世帯

    36世帯

    23世帯

    16世帯

    19世帯

    人数

    67人

    85人

    56人

    41人

    43人

     

     山下清と言えば、映画・テレビで有名になった「裸の大将」の放浪生活である。なぜ、放浪を始めたのか?それは「兵役回避」である。少年時代にイジメられた記憶が濃厚であり、集団生活=イジメ、という直感かもしれない。本人の日記では、殺し殺される兵隊・戦場への恐怖である。

     

     


    コメント
    コメントする








       
    この記事のトラックバックURL
    トラックバック

    カレンダー

    << September 2018 >>
    SunMonTueWedThuFriSat
          1
    2345678
    9101112131415
    16171819202122
    23242526272829
    30      

    最近のエントリー

    カテゴリー

    月別アーカイブ

    recent comment

    リンク

    profile

    サイト内検索

    others

    モバイルサイト

    qrcode